2025コレクション展3/駒井哲郎、菅井汲、池田満寿夫 2025年5月21日(水)〜5月24日(土) 11:00-19:00 ※前回展DMで予告していた日程から会期が変更となりました ![]() ※画像をクリックすると拡大して表示されます。 |
第三回目のコレクション展では、国際的な舞台で評価を受けた駒井哲郎、菅井汲、池田満寿夫の作品を展示します。
駒井哲郎は第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に《束の間の幻影》を出品して受賞し、1929年に渡仏してパリ国立美術学校版画科に学ぶなど、銅版画家としての地歩を築きました。
菅井汲は阪急電鉄宣伝課でグラフィック・デザイナーとして従事した後、渡仏し、欧米各地で開催される国際展に出品して、版画においても独自の世界を構築しました。
池田満寿夫は、1965年にはニューヨーク近代美術館で日本人初の個展を開催し、翌年には第33回ヴェネツィア・ビエンナーレの版画部門で国際大賞を受賞するなど国際的に脚光を浴びました。
本展では、三名による版画作品を特別価格で頒布します。
■駒井哲郎
1920年東京生まれ。35年西田武雄に銅版画を学び始める。42年東京美術学校卒。50年春陽会賞、翌年第1回サンパウロ・ビエンナ−レで受賞。木版の棟方志功とともにいち早く世界の舞台で高い評価を獲得し、戦後の美術界に鮮烈なデビューを飾る。53年資生堂画廊で初個展。54年渡仏。56年南画廊の開廊展は駒井哲郎展だった。72年東京芸術大学教授。銅版画のパイオニアとして大きな足跡を残す。1976年永逝(享年56)。
銅版画の詩人と謳われた駒井先生は15歳の少年時代から56歳で亡くなるまで銅版画一筋の生涯でした。名作『束の間の幻影』はじめ、心にしみるエッチング作品を多数残し、長谷川潔、池田満寿夫とともに銅版画の魅力を人々に知らしめた功績は大きなものがあります。
■菅井汲
1919年神戸市生まれ。本名・菅井貞三。阪急電鉄でデザイナーとして活躍、プロ野球の阪急ブレ−ブスのマークなどを制作。中村貞以に日本画を学ぶが52年渡仏、渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。55年から版画制作を開始、生涯に約400点を制作。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞。96年永逝(享年77)。
映画ファンなら誰でも知っているサガンの[悲しみよ、こんにちは]のギャラリーのシーンはまさにデビューしたてのスガイ先生の個展風景です。戦後の国際舞台に単身で闘いを挑み大きな成功を勝ち得た抽象画家スガイ先生は、私にとって版元と画家との緊張関係を身をもって教えてくれた恩人であり、教師でした。70年〜80年代の幾何学的抽象による70点以上の版画エディションを送り出すことができました。
■池田満寿夫
1934年旧満州国生まれ。1945年、終戦により母と郷里の長野市に戻る。1952年高校を卒業し上京、版画家デビュー。1960年、62年、64年の東京国際版画ビエンナーレ展での連続受賞につづき、1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレでは版画部門の国際大賞を受賞。一躍、世界のスターへの道が開かれる。しかし高い評価に甘んじることなく常に自己変革による自由な変貌をくり返す。
その後も日本を代表する版画家として東京とニューヨークを拠点に制作を続けるかたわら、小説家としても活躍し1977年には芥川賞を受賞。帰国後は、熱海市に居を構え、作陶から立体造形への関心を深めるなど表現の幅を広げる。1997年、歿。